
私の「慈雨」ではない名前を知っている人達、
そして、知っているけれど、今では「慈雨」と読んでくれている人達。
どうもありがとう。
「慈雨」に依存して生きています。今はかなりそうなっています。
私自身「慈雨」の方が好きだし、「慈雨」の方が男前な女だと思ってしまっている。
私と慈雨を、私自身が同一化できません。
でも、あたしのことも好きでいてくれてありがとう。
「大男」・・・
全部全部知っていてくれるね。いつも助けてくれてありがとう。
貴方に電話するとき、慈雨であったり、私であったりします。そのどちらも
助けてくれてありがとう。貴方が去年の6月、私の側にいてくれたから、
今のあたしが在ります。ありがとう。
「MIHOKOさん」・・・
変な始まり方をしましたね。「取材側と取材される側」。
秘密BBSで(笑)夜な夜な激しく繰り返されたやりとり、次から次へと
矢継ぎ早に発せられる質問の嵐に、少々おたおたしたものです。いや、かなり。(笑)
「こ・・・この人のこの熱さはなに?」と(笑)。
でも、その取材が終わったときには、なんだか自分を貴方にさらけ出した様な
気持ちになりました。今まで何も誰にも話してこなかったのに・・・。
『ちきしょう!言わされちまったぜ!』という感じです。(笑)
あの時途中で、「あ、この人は知りたいんだ」と気づきました。それは不思議な
体験でした。一度も会ったことのない、全く知らない人なのに、AAJのガイド
としてHP上で婉然と微笑むあの写真一枚しか知らない人なのに、この人は激しく
私の事を知りたいんだ、私の事を知りたい人がいるんだ・・・、
それはとても不思議でした。
今でもあの取材は、AAJの記事の為でなく、「MIHOKOさんが私に興味があったから
聞いてみたかった」というのが理由ではないかと思っています。ははは、違うかな?
結局その時には貴方にも「慈雨」の事しか話しませんでした。
それでも私にとっては「すごいこと」です。ずっとずっと「漁師で男で50歳」
としか言ってこなかったからです。、どこの誰にも。それは冗談でもポーズでも
何でもなく、断固とした意志の基に【それだけしか言ってこなかった】のです。
なのに貴方には話しました。
そして現在は「慈雨」だけでなく「私」の事も知っている。 これはいったい
どうしたことでしょう(笑)。
お手上げです、また大きな瞳で、瞳に吸い込むような勢いで、私の話を聞いて
ください。貴方のDMでのコメントは、とても私にしっくりきます。
そしてまた、貴方の矢継ぎ早の質問におたおたしながら、
『でた!機関銃トークだぜっ!』
って心の中で笑いながら、貴方とランチしたいです。
「シンガポール」・・・
貴方は私の「慈雨」を知らない。「私」しかしらない。でも、
「私」を沢山沢山沢山沢山知っている。そしてきっとずっと私の味方でいてくれる。
今後もし「慈雨」を知っても味方でいてくれる。
でもね、貴方とはずっと「私」でいたいな。 貴方とは「私」でいたいな。
あなた達に感謝します
そして、徐々に、「私も慈雨も」好きでいてくれる人達を増やしていきたい。
それにはまず私の「隠蔽癖」解除? (笑) それはなかなか難しいです。(^o^)
2002.6.22
Baker's dozen Jiu
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